DAU.PROJECT

GENERAL
プロジェクトの概要

本プロジェクトは、2007年4月に撮影が始まり、当初は長編映画として計画されていたが、開始してすぐにロシア出身のイリヤ・フルジャノフスキー監督により映画、科学、パフォーマンス、精神性、社会性、芸術性、実験、文学、建築を組み合わせたユニークで壮大で学際的で絶え間なく変化するプロジェクトに変わった。
 
2009年9月、ウクライナ・ハリコフの廃墟となったプールの敷地内に「物理技術研究所」が建設された。実在したソヴィエトの研究機関にインスパイアされた、この広大な機能を備えた実験研究施設は、ヨーロッパに建設された最大の映画セットになった。アーティスト、ウェイター、秘密警察、普通の家族など、時間と空間から隔離された何百人もの厳選された意欲的な参加者たちが実際にセットの中で暮らし、科学者たちもそこに住みながら、自分の実験を続けることができた。
 
過去(1938年~1968年)に戻された参加者は当時のソ連の人々と同じように生活し、働き、当時の服を着て、愛し、互いを非難し、憎しみ合った。この台本のない人生は、2009年10月から2011年11月まで続き、その全期間にわたって断続的に撮影された。彼らが着ていた服から使用した言語まで、彼らの存在は研究所に設定された時間=1952年 、1953年、1956年のものに統一されていた。

KHARKIV
研究都市ハリコフ

プロジェクトに影響を与えたレフ・ランダウの研究所が設立された1930年代後半、ハリコフはソヴィエト連邦の重要な知性・創造性の中心地であり、人工的な飢饉(1932-1933の「ホロドモール」として知られる)の起きた悲劇的な時代から回復していた。ハリコフは、ソヴィエト建築だけでなく、住民もソヴィエト時代の感性を保持していて、「最もソヴィエト的な都市」であると監督イリヤ・フルジャノフスキーが考えたため、研究所を再建する場所として選ばれた。撮影終了までに、ハリコフの住民の7人に1人が本プロジェクトに参加していた。

PARTICIPANTS
参加者

数百人の人々が現代社会を離れ、このソヴィエト連邦に戻り、空間的・時間的なパラレル世界の研究所で生活をした。そこは服から台所用品、食べ物、お金、言葉に至るまで、すべてが当時の物や習慣を再現した綿密な歴史的シミュレーション空間だった。研究所には、当時の歴史的出来事を参加者に知らせる独自の日刊新聞があり、使用されていた通貨はルーブルだった。

SCIENCE, ART, RELIGION
科学・アート・宗教

実際の科学者は研究所で研究を続けることができた。その中にはノーベル賞を受賞した物理学者デイビッド・グロスや、数学者ドミートリー・カレージン、神経科学者ジェームズ・ファロン、生化学者リュック・ビジェ、さらにアンドレイ・ローセフ、シン・トゥン・ヤウ、ニキータ・ネクラーソフなど多くの学者たちが含まれていた。「あるグループは弦理論を研究し、別のグループは量子重力を研究していて、これらのグループはお互いを嫌っていた。一方のグループは12の次元があると述べ、もう一方は24の次元があると主張した。弦理論グループは24の次元はあり得ないと信じ、量子重力グループは、他の科学者は偏狭であると考えていた」(イリヤ・フルジャノフスキー監督)
 
メディアアーティストのアレクセイ・ブリノフは研究所の技術設計者として参加。リュックの設計に基づいてブリノフが組み立てを構築したことによって芸術と科学が融合した。研究所を訪れた他の芸術家には、科学の博士号を持ち、研究所で実験を行ったカールステン・フラー、パフォーマンス・アーティストのアンドリュー・オンドレイカクとマリーナ・アブラモヴィッチ、劇場監督のロメオ・カステルッチとピーター・セラーズ、「旧ソ連から現れた最も重要な芸術家の一人」と称されるウクライナ出身の写真家ボリス・ミハイロフが含まれている。
 
宗教は、ユダヤ教指導者(ラビ)のアディン・シュタインサルツ、ロシア正教会の典院・ダニール、ペルー人ベジタリズモ(メスティーソ・シャーマニズム)のギジェルモ・アレバロ、シャーマンのヴィアチェスカフ・チェルトゥエフなど、宗教の著名人が研究所を訪問し、本人役で登場した。また、本プロジェクトには、俳優のウィレム・デフォーやシャーロット・ランプリング、ロシアの作家、ウラジーミル・ソローキンなども参加した。

RESIDENCE
住居

常時約200〜300人の参加者が、研究所で働き生活していた。参加者は、この正確で緻密なソヴィエト連邦の設定に引き込まれ、研究所内で新しい生活を作り出した。多くの人にとって撮影は二次的であった。研究所では、友情も生まれ、科学的発見や研究論文の発表もあり、そして結婚、出産もあった。