ヤスミン・イェンセンという名の若い女性は、生まれたばかりの息子ハリーを養子にしてくれる人を探していた。ヤスミンは、子供の世話をしてくれる人に毎月12クローネを寄付すると申し出た。ダウマは、それを聞いて子供を引き取ることを約束する。
1900年代初頭においても、こういった登録や書面もなしに子供を授かったり受け取ったりすることは違法だった。しかし、実際には当局はその規則を無視し、取り締まりを行うことに全く関心がなかった。その証拠に女性が子供の里親を募集する広告は数多くあり、警察や当局はまったく興味を示さなかったという。ほどなくダウマはハリーを絞め殺し、子供の体を墓地の人目につかないところに投げ入れた。遺体が見つかった後で、警察は目撃者がいないかと周囲に呼びかけたが、それに応じた者はいなかった。
そしてこれは、始まりに過ぎなかった。ダウマはその後、家に帰って新しい新聞広告に目星をつけた。中には貧しい者もブルジョワ出身の者もいたが、そのすべてが非嫡出子を持つ女性たちだった。若い女性にとって、当時一人で子育てをしながら仕事をするのは事実上不可能であり、彼らは皆、絶望的な状況下にあった。裕福な者でさえシングルマザーの名を着せられることを避け、自ら子供をダウマに差し出した。
その後の4か月間、ダウマは望まれない子供5人を次々に殺害した。
ダウマは子供を絞殺すると、アパートにあるタイル張りのストーブに死体を投げ込んで焼却処分した。死体が燃えて室内に悪臭が蔓延する最中、彼女は買い物のために外出をしていたという。
こうして彼女は短期間のうちに、深刻な経済危機に陥った女性から連続殺人犯へと変貌したのだった。