ル・コルビュジエとアイリーン追憶のヴィラ

COLUMN コラム

アイリーン・グレイのE.1027 坂口 恭平

アイリーン・グレイはインテリアデザインの事務所を開き、スチールパイプ製の家具で広く知られるようになる。その後、建築雑誌の編集者であり、コルビュジエの友人でもあったジャン・バドヴィッチというパートナーの支援を受け、初めての建築作品に取り組んだ。こうしてカップ・マルタンにできあがった住宅がE.1027である。完成したのは1929年。サヴォア邸よりも先にコルビュジエが打ち出した近代建築の五原則をすべて形にしたことで、建築界に衝撃を与えた。コルビュジエはそれが気に食わない。逆に言うと、その先進的な建築の可能性をすぐに察知したのだろう。友人の別荘ということもあり、たびたび訪れていたようだ。

そして、ある事件が起きる。コルビュジエはなんとグレイの住宅に勝手に絵を描いてしまったのだ。自分の思想がうまく具現化されていることが悔しかったのだろうが、なんとも子供じみている。それでコルビュジエは追い出されてしまう。行き場がなくなったコルビュジエにヒトデ軒のルビュタト氏が「裏に小屋でも建てたら?」と声をかけてくれたおかげで、休暇小屋が生まれたのだ。E.1027はその後、グレイも去り、放置され、一時は廃墟と化していたが今年完全修復され一般公開されることになった。今ではその先見性が再評価されはじめている。

E.1027の中に入ってみよう。コルビュジエが嫉妬したのも理解ができるほど、細部に手が行き届いている。むしろ、家具が拡張して住宅になっているようだ。玄関横のキッチンは、そのままレモンの段々畑とつながっていて、庭も見えない壁で覆われた建築なのだと感じさせる。設計する上で頭を悩ますために通常は隠してしまう水回りを外に向けて開け放っていて心地よい。室内は壁がないが、床のタイルの色でそれぞれの部屋の意味を伝えている。家主がいなくても、誰でも滞在を楽しめるようにそれぞれの家具には名前がレタリングされていたり、すべての部屋が海へのテラスを持っていたりと丁寧な配慮が至るところになされていた。機能的で愉快な収納棚とベッドだけの壁のないゲストルーム、21世紀でも最先端にしか見えないバスやトイレ、電気の配線すら綺麗な模様に見えてくる。おそらく当時は概念すらなかっただろうホスピタリティにあふれた空間になっていた。住む人、使う人の視点があり、しかもただ使いやすいだけでなく、創造的に生きるための鍵が至るところに仕掛けられているのだ。

だからこそ、コルビュジエはこのカップ・マルタンに戻ってくる必要があった。彼はアイリーン・グレイが示していた近代建築の先の住まいのあり方をどうにか乗り越えようとした。休暇小屋はそんな彼なりの答えなのだろう。1965年、コルビュジエは休暇小屋の前に広がる地中海で海水浴中に心臓発作で亡くなる。享年78歳。どんなに巨大な建築物をつくったとしても人間はささやかな食卓で食事をし、一人小さなベッドで眠りにつく。彼の最後の思索はそこへ向かっていったのではないか。カップ・マルタンという南仏の小さな町には、そんな未来の住まいの可能性を探った二つの開かれた建築がいまもひっそりと佇んでいる。

ANAグループ機内誌『翼の王国』2016年11月号 BAUを巡る冒険 より抜粋