禅と骨 Zen and Bones

コメント

とても面白い映画だ!
禅僧のくせに、
かっこいい自分を撮ってほしいというミトワさん。
彼にはいろんな面白さがある。
本作は「骨」の先にあるものを追求し、
そこを拘りぬいて徹底的に描いていると思う。
私もミトワさんと同じで、
女房の遺骨をずっと家に置いている。
写真より骨の方が確かだからね。

田原総一朗(ジャーナリスト)

「この男は、いったいナニがしたいんだ。
この映画は、いったい何なんだ」
見終わった後、得も言われぬ疲労感を抱え、
心の中で叫ぶ。そして、気がついた。
映画のありようは男と一心同体。
迷惑だけど、愛おしい。
近づきたくないけれど、見守りたい。
『骨』となった男は、『映画』という肉体を持ち、
永遠に生き続けることに成功した。
理屈はいらない。とにかく、
ぐったりする程の疲労感を是非味わって欲しい。

松本貴子(ドキュメンタリー映画監督)

ドキュメンタリー映画は、
フィクションよりも
作り手の作為がより目立つことがある。
予め到達点を決めておき、
そこを目指して撮る手法が一般的なのだろう。
しかし、この作品においては、
一体、ミトワさんは果たして
何処に行ってしまうだろうと、
終始、ライブ的な生々しい感覚で観客を惑わせる。
とても素晴らしいドキュメンタリーと思う。
ひとりでも多くの人に観てもらいたい。

鹿島茂(フランス文学者)

「人間の業の肯定」とは
立川談志が落語について言った言葉だが、
この映画もまさにそうだ。
外連味と技巧の限りを尽くし、
俗で愚かで愛おしい、
その男の人生を丸ごと捉えんとする
中村監督の手腕と執念に脱帽。
こんなドキュメンタリー見たことない!

七里圭(映画監督)

馬鹿馬鹿しいリアル。
本作が追った禅僧ヘンリ・ミトワは
映画の中で喘ぎ続ける。
性的な意味合いの喘ぎでは無い、
人としての喘ぎだ。
だから、喘ぎは見苦しく、涙ぐましいのだ。
それを中村高寛監督が
残酷さと優しさでえぐり取る。
人は喘ぎ終わった時に真っ白な骨になり、
シャリシャリと透明度の高い音色と共に
崩されていく。
何があったとしてもだ。

三木聡(映画監督)

『往生際』は悪くあるべし…
とミトワさんを観て思う。
周りの人間はたまらんだろうが、
観てるこちらも実にたまらん。
いとしくて、切なくてたまらん。
ミトワさんは焼けたそのお骨まで、
カタカタと動き出しそうだ。
『往生際』だって、人生の一瞬だ。
最後までジタバタしなけりゃつまらない…かな。

春風亭一之輔(落語家)
『禅と骨』は、ドキュメンタリー映画でもない、劇映画でもない。
これは、新しいジャンルの劇場映画だ!

 一面識もない中村高寛監督から突然の電話をいただき、取材の申し入れを受けた時、私は戸惑った。そして、旧知のヘンリ・ミトワさんのドキュメンタリー映画を制作していると聞き、小さな驚きがあった。更に、氏が『横浜メリー』を制作した監督であることを知り大きな関心を抱いた。
 やがて、取材を受けた後、私は、ミトワさんの原点ともなった日系米国人収容跡地マンザナの撮影に同行することにもなる。
「増田さんはこのプロジェクトを応援してくれている」中村監督は言うが、実は、そんなカッコいい理由ではない。
 ミトワさんの夢『赤い靴』の映画化を実現してあげられなかったという自分の中にある贖罪心だけだった。
 そんな私は、完成した『禅と骨』を観て、心底からの拍手を贈る事となる。
 8年間に渡る中村監督とミトワさんとのガチンコの記録映像は、ドキュメンタリーでもない、劇映画でもない。新しいジャンルの劇場映画だ。
 しかし、そこには多くの映画人が忘れかけている映画創作の原点ともいうべき“映画屋の心”がある。

増田久雄(映画プロデューサー)

泣けるとか、笑えるとか、怖いとか。
「かかってきなさい」って感じ。
この映画には、私が表現したかったことすべてが
映し撮られている。

矢崎仁司(映画監督)

圧倒された。
並の映画なら5本くらい作れるエネルギーが
この1本に込められている。
徹底したリサーチ。
あの手この手と対象に迫る取材力。
それらを元にした情感あるドラマ。
「赤い靴」を再現した柔らかなアニメーション。
これらの素材を惜しみなく刻み、
多彩な表現手法で息をつかせぬほど過剰に、
そしてさりげなく展開させる構成と編集。
それを支える贅沢な音楽と音響効果。
尋常ならざるヘンリ・ミトワとその家族の人生を
ひたすらに見つめながら、
国家と時代、人間の業を
浮かび上がらせようとしている 。

飯田基晴(映画監督)

人生は思った通りにいくわけがなく、
無意味、混沌、不条理の連続。
終わりそうなものがずっと続く。
続くと思ったものが突然終わる。
それらをホイッと素材のままで、いや素材どころか
調理人まで皿に載せて提供されたかのような
ドキュメンタリー。
細部がいちいちうるさいほどに輝いて見える。

能町みね子(漫画家、文筆家)

横浜生まれの日系アメリカ人禅僧ヘンリ・ミトワ。彼に出会い、ドキュメンタリーの主人公としてオモシロいと思い(=信じ込み)オモシロい映画を作ることを決意した監督。主人公がやがて“赤い靴”をモチーフに映画を作りたいと言い出す。家族の幸せなんかより自分の欲求が最優先する男。当然、娘は反抗する。たしかに破天荒な男、とは言える。が観客である私は、そんな主人公より彼をオモシロい映画に仕立て上げようとする作り手の格闘(悪戦苦闘)ぶりが身につまされて仕方なかった。カメラの背後にいる監督がカメラの前に姿を現すわけではないが、ドキュメンタリーにドラマにアニメに、と様々なジャンルの映像を駆使して、懸命に、この主人公ってオモシロいだろ、って言わんばかりの、いや無理にでも(?)自分に信じ込ませようとしてあがく姿に、限りない共感と悲哀を感じてしまうのである。

原一男(映画監督)

日米ふたつの国に激しく揺さぶれながらも
あらゆるものへの興味に満ちた人生。
そのエネルギーに圧倒される。
映画への情熱は、もう一つの眼―手の届かない、
母のまなざしを求めていたのかもしれない。

今日マチ子(漫画家)

第一次大戦中に日本に生まれたアメリカ系日系人の禅僧の話と聞き、「時代に翻弄されつつ二国間のアイデンティに揺れる男の内面」みたいなものを期待して鑑賞。しかしヘンリの独特なキャラクターと、歳を重ねるごとにスパークしていく行動力が作品を混乱させてゆく。終盤では「日系人禅僧」というフレームを軽く飛び越え、彼自身の我儘な生き様が刻み込まれていた。監督のハンドリングや意味付けをすべて拒否するような人生が魅力的。家族が終始彼の悪口を言ってるのもすごくよかった。

RAM RIDER(音楽プロデューサー)

執念とは何ぞや?!生き死にとはなんぞや?!
ヘンリ・ミトワのカオスな人生を
見事な映像ミックスで魅せ切った新しき表現。

倉本美津留(放送作家)

複雑な映画だ。どこから観るかでまったく変わる。
でも出口はきっとひとつ。
それは中村監督の思いであり、
ミトワの願いであり、
生きとし生けるものの哀しみでもある。

森達也(映画監督、作家)

まるで野口英世。まるで小泉八雲。
放蕩坊主のファミリーヒストリー!傑作!

樋口毅宏(作家)

死んだら人はどこに行くのか?
骨は生物学の世界では
カルシウムと呼ばれる物質に過ぎないですが、
たとえ骨だけになっても、
その人の最も大事な“記憶”というものは、
ミトワさんがそうであるように、
残された者たちの中に
ずっと残っていくのだと思いました。

福岡伸一(生物学者)

不思議な映画を観た。
怪しくて苦し紛れで少々優しい主人公が、
映画という「仏像」になるまでの物語。
とにかく「やめない」のはパワーだ。
法螺も真面目も生きることそのものも。

糸井重里(ほぼ日刊イトイ新聞主宰)

ドキュメンタリーという形式を借りているが、
この映画は厳密な意味における
ドキュメンタリーではない。
ヘンリ・ミトワの回想や夢想が、
ドラマやアニメーションも交えながら挿入されていき、
やがてラストシーンでは、
フィクションとノンフィクションとが
渾然一体となり、大きな物語の形をなして現れる。
 
モノクロームの歴史に人々の想いが宿り、
色味がつくとき、それは物語と呼ばれる。
これはまさしく、中村高寛監督が紐解き、
ヘンリ・ミトワが自作自演する物語映画だ。

松永天馬(アーバンギャルド)

肉薄する日々、タイポグラフィ、
アニメーション、贅沢な音楽陣、ドラマ。
なんて見事な編集!
ミトワさんの煩悩も昇華されたように感じて
最後大笑いしちゃったけどいいよね?

クジヒロコ(ミュージシャン)

カッコイイ映像とカッコイイ音楽に彩られた、
カッコイイじいちゃんの生き様。
教科書には載ってない。ググっても出て来ない。
「あ〜。なんか、じじいとか面倒くせえな。」
そんな平成生まれにこそ是非見て欲しい。
騙されたと思って見てみてよ。
私もまんまと撃たれたから。
ハイパークレイジーじいちゃんから
何を受け取ったか、酒飲みながら話そうよ。

なかの綾(歌手)

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