1918年(大正7年)、米映画会社ユナイテッドアーティスト極東支部長だったドイツ系アメリカ人の父と日本人の母との間に、横浜で生まれる。1940年に渡米し、第二次世界大戦中は、アメリカの強制収容所で過ごす。終戦後、ロサンゼルスでエレクトロニクス技師として、ミサイル関連開発会社に勤務。禅僧・千崎如幻に邂逅し、仏教に帰依。1961年に日本へ。1973年より大本山天龍寺の寺田精耕老師の弟子となる。著作に、自身の半生を記した「祖国と母国のはざまでーわが母影慕情」(1983年)、「嵐山のふもとから」(1992年)、「時世の辞」水上勉・共著(2003年)がある。2012年6月1日、映画の完成を待たずに逝去。享年93。
1918年 (T7) | 横浜市根岸にて、3人兄弟の末っ子として誕生 | |
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1923年 (T12) | 4歳 | 関東大震災で被災 |
1925年 (T14) | 6歳 | セントジョセフ カレッジに入学、英語教育を受ける |
1928年 (S3) | 9歳 | 父リチャードと2番目の兄フレッドがアメリカに帰国 |
1940年 (S15) | 21歳 | 氷川丸に乗船し渡米 電気修理工として働く パーティーで当時20歳のサチコと出会う |
1941年 (S16) | 22歳 | 12月8日 太平洋戦争が勃発、日本に帰国できず |
1942年 (S17) | 23歳 | 日系人強制収容所の建設に関わり、そのまま収容される アリゾナ州ヒラリバー強制収容所への転居を希望、サチコと結婚する |
1943年 (S18) | 24歳 | 10月 長男エリック出産の為、ユタ州トパーズ強制収容所に移る 忠誠登録の際日本への帰国を申請、ツーリレイク強制収容所に移送される |
1945年 (S20) | 26歳 | 7月 ツーリレイク強制収容所で長女・京子が誕生
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1952年 (S27) | 33歳 | アメリカの市民権が回復 カリフォルニア州パサディナ エンデブコ社にてエンジニアとして8年間勤務 |
1955年 (S30) | 4月12日 母 こう・ミトワ逝去、享年76 | |
1960年 (S35) | 長女・京子を横浜の鶴見女子高校に単身入学させる | |
1961年 (S36) | 42歳 | 21年ぶりに単身帰国、京都妙心寺に身を寄せる |
1963年 (S38) | 44歳 | 裏千家茶道研修所に入学し、住み込みで茶道を学ぶ
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1965年 (S40) | アメリカにいた家族を日本に呼び寄せる(長男エリックは海軍にいたため米に残る) | |
1973年 (S48) | 54歳 | 京都 天龍寺僧侶になる |
1991年 (H3) | 71歳 | 通訳として現場に参加し、宣教師役として出演も果たした映画『動天』が公開 |
1996年 (H8) | 76歳 | 菊池寛著「赤い靴はいてた女の子」を原作とした映画化を宣言 |
2012年 (H24) | 6月1日 逝去、享年93 | |
2014年 (H26) | 12月 | 企画・原案を務めた『ヘンリの赤い靴』が横浜ニューテアトルにて公開![]() |
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